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2008年度分申告 |
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What's new |
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●初回住宅取得控除
初回住宅取得控除は、2008年4月10日から2009年11月30日までに、初めて住宅を購入する人に与えられる連邦税額控除だ。家は1戸建て、マンションまたはタウンハウスでも良いが、住宅購入者の主たる家でないといけない。2008 年に住宅を購入した人は購入価格の10%、最高7500ドル(夫婦個別申告ではそれぞれ3750ドル)までの控除がある。これが2009年では8000ドル(夫婦個別申告ではそれぞれ4000ドル)になる。Form 5405を使って申告すると、税額が減少または還付が増加することになる。
対象になる人
1.購入前3年間主たる家を所有していなかった人
2.アメリカにある家で、2008年4月10日から2009年11月30日までの購入契約した人
3.アメリカ市民か居住外国人
4.血縁の親・配偶者・子供・孫などから家を買ったのではない人
5. 所得が合致する人
所得の限度額 (調整後総所得)
| ファイリングステータス |
全額控除 |
部分的に控除 |
| 独身または所帯主 |
75,000ドル未満 |
75,000ドル~95,000ドル |
| 夫婦合算申告 |
150,000ドル未満 |
150,000ドル~170,000ドル |
2009年の税額控除:3年間その家に住んでいれば控除を返す必要はない。3年が経つ前にあなたが家を売るならば、残っている未返済の控除一気に返さなくてはいけない。2009年に購入した人は2008年申告か2009年申告のいずれかで控除を取れる。当然ながら、契約前には控除を取る事が出来ない。2009年4月15日以降の契約ならば、延長申請をかけていれば2008年で控除できるし、修正申告を出せばそれでも可能になる。
2008 年の税額控除:家を購入して2年後から控除を15年間で均等に返済する。7500ドルの控除ならば、1年につき500ドルを返済する。基本的に政府からの15年の無利子ローンとなる。
しかし、その家に住むのをやめたり売却してしまえば、残っている未返済の控除を一気に返さなくてはいけない。売却して譲渡損失が出たり、亡くなった場合はこの限りではない。
2008年の初回住宅取得控除は、15年にわたって返済しなくてはいけない。実質的に、これは15年にわたって均等に返済する連邦政府からの無利子ローンになる。ありがたいことに2009年の控除は、返済を必要としない。
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ブログから |
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●兄弟仲よく
親になって考えることは、自分の子供は同じようにかわいいわけだし、いつの日か自分の財産を分ける事になれば、平等に受取ってもらいたいというのが親心だ。いろいろな考えがあるので、必ずしもそうではないかもしれないが、多くの場合は洋の東西を問わず、そう思うのが親心だろう。
アメリカの○○州△△市に住むアメリカ人のAさんは、十年前に夫を亡くしている。自分としてもいつの日かのために遺言を作成した。しかも弁護士を入れてきちんとした内容にしたので、親の責任を果たしたと思う。そして、いつのまにか時間は流れ、Aさんは亡くなる。遺言は裁判所で確認され、親の思うとおりに、相続の税金を払うことなく、平等に子供たちに財産が引き継がれる。
さて、相続人である兄弟姉妹の一人だけが結婚して日本に住んでいた。
アメリカにいれば、相続をする人は遺産税を払うことはない。日本は相続をした人が税金を払う。いかに一連の出来事がアメリカで行われて、関係者がすべてアメリカ人であるにもかかわらず、日本に住んでいるばかりに日本の相続税に巻き込まれる。
では、相続税をどのように計算するのか、全くアメリカでの話であるにもかかわらず、適用する法律は日本の法律でしかない。すると、アメリカの○○州△△市にある不動産に対して相続税評価額?路線価や倍率方式で評価して、補正率がどうこうでという世界に入り込む?
およそ日本人が、日本の財産を対象にしたものであっても耳慣れない話である。アメリカ人にこれを英語で説明してわかってもらうのは???という世界でしかない。けれども、アメリカはどうであれ日本は日本でしかないのだ。ここはどうしようもない。あれこれ計算して、日本の税額が算出される。
さて、亡くなった親にしてみれば、自分の子供たちは同じようにかわいいわけだし、平等に財産を分けてあげた。確かに、関係者が全員、アメリカの中にいればその通りだった。たまたま、相続人の一人が日本にいたばかりに、日本で相続税を払うことになった。他の兄弟姉妹はアメリカにいて遺産税を払うことはない。
アメリカの中では、遺産財団が税金を払った後でネット財産額にして相続するので、相続人は税金を考えなくても良い。でも、日本に住んでいる人は、相続する財産から税金を払わざるを得ない。
ならば最初から、その税金分も兄弟姉妹で平等に負担して、手取りの額が平等にならないとかわいそうな話になるのではないだろうか。いやそんなことはない、税金を払う前の段階で平等に分けられている。たまたま日本に住んでいるから結果としてそうなったのであり、これはどうしようもないことなのだと考えるのでろうか。かくして、兄弟姉妹がいつのまにか争いごとに巻き込まれる。
亡くなった親にしてみれば、アメリカの相続法を考えてきちんと目的を達成したはずだ。日本の相続が顔を出した時に、思いもしない事態になる。
●丑年と牛税
今年は牛年(丑年)である。この牛がなにやら税金なお課税対象になるという話が出ている。牛肉を輸入するための関税が上がるとかそうした話ではない。地球温暖化と関係する。牛や豚と言うのはメタンガスを大量に放出しており、牛は一頭当たり、1日50ガロンから100ガロンという研究があるという。メタンは地球温暖化に関する二酸化炭素より非常に強力な温室効果ガスであることも知られる。
一説によると、ニュージーランドでは、4000万頭の羊と1000万頭の牛の出すメタンガスが国全体から排出される温室効果ガスの43%を占めるという。つまり牛や羊のげっぷがメタンガスを出しているとのことだ。何でもメタンガスのほうが二酸化炭素の20倍以上の温室効果となっているというから無視できない。
自動車の排気ガスでも、エンジンの燃焼と燃料の硫黄分とかが問題になる。燃料をどのように燃焼させるか、自動車メーカーも燃料メーカーの両方のアプローチが必要だ。この牛のメタンガスも自動車と燃料に似た関係だという。即ち、牛がダイエットすることでメタンガスの量が減少するし、にんにくを食べるとほとんど半分くらいメタンガスが減るらしい。
アメリカとしても地球温暖化に対しては何らかの手立てを講じなければならない。そこで環境保護庁(EPA)はこのメタンガスの放出に対して課税しようと言う考え方が出て来ている。試案では年間の税金が乳牛175ドル、肉牛87.50ドル、豚20ドルだそうである。
EPAと言えば自動車の排気ガス規制で身近な存在だった。確かに環境規制ということになれば牛や馬のことを扱ってもおかしくはないのだろうが、違和感もあるし何か新鮮でもある。
もちろんこうした税金に酪農農家は反対を表明している。なかなかこうした税金は導入されがたいだろう。人間が温室効果ガスを大量に放出することのしわ寄せが動物に寄せられる。課税されたとしたら、その影響は消費者に転嫁されるだろうし、生産者も影響を受ける。どうもEPAとしては観測気球を打ち上げてみてどんな反応が起きるかを見ていたのではないだろうか。アメリカはこの景気後退時期の時にあって牛税や豚税を負担する状況ではないと思われる。ある意味のパフォーマンスかもしれない。
人間が関与せず、自然界にある動物がそのままに生きていて、規制をされたり課税をされたりすることはない。どうもこの牛税は導入されるかどうかはわからない。
●外国にいて州税を払う
日本に住んでいるアメリカ人や永住権者が日本に住んでいる場合でも、アメリカの税金からは離脱することはできない。アメリカの場合はアメリカの市民権を持っている人、永住権を持っている人はそのことゆえにアメリカへの税金の申告をしなくてはならない。属人主義をとるからである。一方、日本においては属地主義をとり、日本から離れて日本の非居住者になった場合、日本の税金から離脱することもあり得る。
具体的には、アメリカ人が日本に住んで、10年たっても、日本で働いて得た所得はアメリカに申告をしなければならない。逆に日本人がアメリカに移り住んで10年して、アメリカの会社からもらった給料はアメリカで課税されても、日本に申告をしなければならないと言うことはない。日本のやり方のほうがすっきりしているけれども、アメリカは伝統的にそうした属人的な課税をするので仕方がない。これはアメリカという国のレベルで見れば明快である。
次に州税をどうするかと言うことになる。外国に長期間住んでいる場合、州税をどうしたらよいのか疑問になる。日本に住んでいて、日本の会社に勤めて日本の所得を得ているような場合だ。この処理は州ごとに異なると言っても良いだろう。税務上自分がどこに住んでいるかという判定が基本になる。
連邦税と同じように、州税のレベルでも同様の扱いを行う州であれば、外国にいてもなお州の所得税の申告をしなければならない(バージニア・サウスカロライナ・ニューメキシコ・カリフォルニアなど)。その逆に、ネバダ、ワシントン、テキサス、フロリダは州の所得税そのものがないので、これらの州の人もはっきりしている。
それ以外のところは一定期間例えば半年とかその州に住んでいなければ、その州に対して申告を求めないとか様々である。
税務上の居住は本人の意図にもよるので、個人ごとに異なる。その州に不動産を持っている、選挙の投票登録をしている、子供がその州の学校に通っていたり、州の運転免許証を持っている、州の銀行に口座を持っているといったことを総合的に判断することになる。まさに、その人により一定ではない。
外国を源泉とする所得ではなく、ある州に不動産を賃貸している場合、その州での賃貸所得が発生している。州税のない場合以外、その州を源泉地とする所得については、例え、日本に居住していても州税の申告が必要になる。
●刑事コロンボ
刑事コロンボを覚えている人も多いだろう。70年代に大ヒットした刑事物のTVドラマだ。よれよれのレインコートを着て“うちのかみさんがね”というせりふで有名だった。日本語の吹き替えをしていた小池朝雄の声もなかなか良かった。その小池朝雄が亡くなってもう20年以上になる。そして、主演俳優だったピーター・フォークがアルツハイマー病と認知症にかかっているのだと言う。判断力のないピーター・フォークの財産保全のために娘が後見人になる訴えをロサンゼルス地裁に起こしたというニュースが出ていた。
時間の流れは止める事が出来ないし、人はこうした事態に好んでなっているわけではない。自分ではコントロールできない。私たちが長生きをするようになっているので、こうしたことは多くの人に起こりえる。老いによる能力低下、アルツハイマーは税の世界にも否応なく入ってくる。元気な時には税務申告を行う事が出来ていたのに、自分のお金周りの事ができなくなるケースが出てくる。
こうした時に、アメリカでは裁判所はある人が行為能力を失ったと言う宣告をする事が出来る。この宣告を受けた人の世話をする後見人を指名できる。これには二つのパターンがある。一つは日常生活の衣食住を何から何まで面倒を見るパターンともうひとつはお金周りのことをやってあげるパターンだ。この二つを一人が兼ねることもある。
しかしながら、他の人の手を借りるのは大変なことだろう。食べるもの一つとっても、家族ならば何が好きな食べ物かとかわかるだろうが、他人になれば細かなことまで期待しようもないだろう。これは日本に住んでいる私たちでもなかなか難しい。
どんなに英語のうまい人でも、病気になると言葉も母国語に戻ってしまうのだと言う。コミュニケーションもままならず、食べるものも日本人の好みでないなら元気な人でもストレスになる。第二次大戦後や朝鮮戦争後にアメリカに渡った日本人がこうした年代になりつつある。アメリカ人配偶者が亡くなり日本人が残されて、まわりに自分の家族がいないと事態は大変難しくなる。
後見人がついてもなおかつ、お金を奪われたり、肉体的にも精神的にも虐待を受けることもある。こうしたことのリスクを少しでも少なくする事が遺産計画のひとつの目的でもある。
●贈与にするか遺贈にするか
物事は後付でできるならば、こんなに容易な事はないだろうが、将来のことは言い当てることはできない。良くなると言うシナリオがそのまま当たるかもしれないし、外れるかもしれない。財産を生前に早くあげたほうが良いか、死後にあげたほうが良いのか、答えは人それぞれだろう。早く財産をあげたばかりに、息子の人生が狂ってしまったということもあるかもしれない。反対に、財産を早くあげたら、息子が事業に成功してそれを何倍にもしたと言うこともあろう。
贈与と遺贈の違いはその相続財産のコストに現れる。贈与の場合は、もともと被相続人の買った取得コストをそのまま引き継ぐ。日本の一般的なやり方と同じだ。ところが、遺贈においてはステップアップ(ダウン)方式で相続発生日の公正市場価格をコストとして使う。もっと言えば相続発生日かさらに6ヵ月後の公正市場価格を任意に選択できる。
贈与と遺贈の違いをGMの株式で考えてみる。
ある人が2004年初頭に一株53ドルで買っていた。この株式を子供に贈与した場合、その株式の取得コストは53ドルを引き継ぐ。ところが12月の初旬に相続が発生した場合、GMの株式は4ドルになっている。子供はこの4ドルが株式の取得コストになる。
さて、その次の話はGM株を相続した人が3年後にその株を売却した時にどうなるかだ。
3年後の株価が30ドルだったとする。贈与でその株式を受けていた場合、コストが53ドルなので譲渡損失が出る。課税される所得は発生しない。一方、遺贈で取得した場合は、コストが4ドルなので譲渡益が出ることになり課税所得が発生する。このケースの場合では贈与で財産をもらっていた方にメリットがある。
このケースで、ある人が買ったもともとの株式取得が4ドルであったとする。その後相続発生時に経済が拡大していて株価も50ドルと言うようなケースではステップアップを用いられる遺贈の方にメリットがある。
もちろん贈与と遺贈の判断は、単に経済計算だけではなくもっと大所高所からなされる。どちらが良いとは単純には言えないが、世の中が変動している時期には先を見据えることはなかなか難しい。自分なりのポリシーで動く事がもしれない。
●適用法の衝突
我が家のそばで起こったことだ。身寄りのないお年寄りが亡くなった。もう10年くらい前のことである。もっと前だったかもしれない。何しろ大きな家だったが、どこに親族がいるのかもわからない。目隠しに鉄の柵がぐるりと回されていたが、ペンキは剥げ落ちさびた鉄がむき出しになった。庭は草が生い茂り、家の窓ガラスも破られて、荒れ放題になってしまった。ご近所では何とかしてほしいと願うものの、個人の財産だけにうかつに手をつけるわけには行かない。火事になったりしたら大変である。さあどうしようと、考えあぐねていた。
それからずいぶん時間がたったのだが、気がつけばその家が取り壊されて、新しい家が何件か建てられ販売されていた。やれやれと言うわけである。聞けば地元の不動産会社が引き取ったものらしい。しかし、個人の財産である。勝手に他の人が売ったり買ったりすることはできない。と言うことで、いろいろと手を尽くしても相続人がいない場合は、その財産は最終的に国のものになる。どこかに書いてあった事が本当に実現して驚いた。
これは日本の例だが、日本人がアメリカで死亡し、不動産を残したが、天涯孤独で誰も相続する人がいない場合どうなるのであろうか。この場合は州の財産となってしまう。日本と同じような最終結末になる。
ところが、ここで国同士できわめて難しい判断になる可能性がある。アメリカでは不動産の存在する州法で相続を考える。日本は、亡くなった人の本国法で考えるので、日本法による相続になる。アメリカ法では州の財産となり、日本法では最終的には日本人の財産は日本政府のものになる。この衝突をどうやって解決するかということになる。
どうしたものだろうか。仮に、類似ケースがたくさんあるとする。ものすごく極端な例だが、そうした日本人がカリフォルニア州のすべての不動産を持っている、あるいはアメリカ全土の不動産をもっているとする。
日本は最終的には日本国の財産になると主張し、それが認められるとどうなるか。カリフォルニア州の土地がすべて日本のものになる、全米ならばすべて日本国のものになる。その逆も同じで、東京都がアメリカのものになったり、日本全国がアメリカのものになる。この場合、国である最大要素の一つの領土がなくなってしまう。つまり、日本がなくなってしまうことになる。
こうやって考えてみるとまことに不都合な話しになる。と言うことは、その不動産の扱いについては不動産の存在する国の法律を適用することが実際的だと思われる。アメリカの不動産は、アメリカの法律で考えることが合理的だ。他国の領土の中まで外国の法律を持ち込むことはどう見ても不都合だと思う。
ではどうして税法は容易に国境を越えてしまうのだろうと思わずにはいられない。
●アメリカ人と結婚している日本人の遺言
アメリカ国内の遺言の話であっても、州の法律にまたがる時にはあいまいなところや矛盾が起きる。これを完全にクリアするにはアメリカ50州のすべてに有効になるように遺言を作る。なかなか大変なことである。しかしながら、話はここで終わらない。国際結婚をしている場合、例えば日本人とアメリカ人の夫婦では、この遺言に関してはもっと複雑な話になる。
例えば、夫婦がアメリカに住んでいて、どちらかが亡くなられたとする。またその反対に、日本に住んでいて、相続が発生することもある。日本とアメリカでは相続のやり方が全く異なる。そこにたどり着く前でも、遺言の有効性はどうなるのだろうか。配偶者が亡くなった場合どちらの国の法律を適用するのか。
アメリカ国内50州の法律の要件を満たし、その上に日本の法律を満たさなければ有効な遺言にならないとしたら、実際上はお手上げだろう。もともと、相続については亡くなった人が日本人であれば、日本の法律を適用する。アメリカ人であればアメリカの法律を適用する。
アメリカ人と結婚している日本人が遺言を作るとする。どこの法律で遺言を作ればよいか。日本においては遺言の方式の準拠法に関する法律第2条で、次のいずれかの法律に準拠して遺言を作成できる。
①行為地法
②遺言者が遺言の成立又は死亡の当時国籍を有した国の法律
③遺言者が遺言の成立又は死亡の当時住所を有した地の法律
④遺言者が遺言の成立又は死亡の当時常居所を有した地の法律
⑤不動産に関する遺言についてその不動産の所在地法
のいずれかに適合する時は有効になる。
と言うことは日本人が遺言を作る場合は、日本法に準拠する事が多いだろう。しかし、遺言を作った時にアメリカに住んでいて、アメリカ法に準拠して遺言を作ればこれも有効になる。
●遺言の有効性
アメリカにおいては、遺言を作る人が住んでいる州の法的用件を満たせば、その州においては有効な遺言となる。これですべて処理ができれば事は簡単なのだが、実際はそんなに簡単にいかない事がある。つまり、遺言を作った後で、他の州に移り住んでしまう事がある。この場合は、その移り住んだ州では、あくまでその州の法律が有効なので、他の州で作られた遺言は有効でないと言えるのだろうか。
他の州で作った遺言は有効でないとするならば、州を越えて移り住むたびに新たな州の要件を満たす遺言を作らなければいけなくなる。他の州で作られた遺言が全くすべて無効になると言うのははっきりしているが、実際問題としてあまりにも煩雑である。新たな州と前の州の法律がわずかにずれていた場合、大部分をそのまま適用して、異なる部分だけ調整すれば容易に思える。
日本と大きく異なる点の一つが、相続統一主義ではなく相続分割主義をとる。すなわち、我々日本人が慣れ親しんでいるのは相続統一主義で、故人の財産は動産も不動産も区別することなく準拠する法律は同じである。ところがアメリカは相続分割主義で、不動産についてはその不動産が存在する州の法律を準拠法とし、動産は故人が住んでいた州の法律に準拠して相続を決める。
遺言の作成ではその人の住む州の法的要件を満たすことになる。しかしながら、これは次のような場合においてきわめて複雑になる。死亡時に他の州に住んでいる場合や不動産を他の州に保有している場合だ。
遺言を作った時にイリノイ州に住んでおり、イリノイ州の法に則り遺言を作成した。その後ニュージャージー州に引っ越してそこでなくなったとする。一方、不動産はフロリダ州にもある。
この場合はイリノイ州の法による遺言にはニュージャージー州では有効ではない。個人の動産に関しては亡くなった人が住んでいる州の法律が遺言の有効性を決める。そのためニュージャージー州の法が動産や無形資産の処理に適用される。個人の不動産に関しては亡くなった人の不動産がある州の法律が遺言の有効性を決める。フロリダ州の不動産は同州の規定によって相続されることになる。
大変複雑になるために、多くの州は次の要件で作られた遺言を有効とする。
1.個人が死亡時に住んでいた州
2.遺言が作られた州
3. 遺言が作られた時に個人が住んでいた州
これでかなり汎用性が高まる。しかしながら、州の法律にまたがる時にはあいまいなところや矛盾が起きる。これを完全にクリアしようとすると、アメリカ50州のすべてに有効になるように遺言を作ることになる。
●土俵とリング
アメリカと日本の両国の税法にまたがる場合、まさに日本では日本の税法の土俵の上で考える。一方で、アメリカはアメリカの土俵(リング)の上で考えることになる。その対象となる事案は同じであっても、必ずしも同じ概念や規則を用いていないことは明らかだ。言うまでもないが、相続で日本とアメリカの両方の税法の対象になった場合、日本では土地の相続税評価額を用いるにしても、アメリカのニューヨークの土地に対する日本の相続税評価額はない。基礎控除5000万円と言っても、アメリカではそうしたものはない。
お互いに日本とアメリカで法律を作る時に、比較検討はしているのだろうが、あくまでも日本は日本だしアメリカはアメリカだ。その土俵は丸で、リングは四角だし、土俵とリングが全く接点がない場合と、何がしかの接点が租税条約であるかもしれない。しかしながら、租税条約にしても、アメリカは最終的にはアメリカ国内法を優先させることもあると釘をさしている。
さらに各州になれば、必ずしもアメリカの連邦と同じ考えかたをするのではない。それぞれの州が独立的である。結果としては、連邦と州ではこれまた接点がない事がある。アメリカ国内でも統一が取れていないわけなので、二国間の狭間に迷い込んだ日本人は、さらに日本の税法とアメリカの連邦法と州法の間で、迷いに迷うことになってしまう。
いずれにしても、それぞれの国が相手の国のことは知ったことではありませんと言うことになると、一つの所得に対して、日本は日本、アメリカはアメリカと言うことで勝手に課税をしてしまう。それはあまりにも不都合だから、二重課税の回避のために一例として外国税額控除という手段を用いる。これにより、どちらか一方の国で課税された場合、他方の国では外国に支払った税金を引いて上げましょうと言うことになる。
しかしながら、そうした外国税額控除がすべて100%二重課税を避けるかどうかについては限界がある。と言うことで日本とアメリカの国レベルでも調整しきれない。州の話になったときは、この外国税額控除を当たり前のように考えてしまう事がある。しかしながら、国と国のレベルの話ではあっても、州は外国のことは一切関係ないという立場を取る事があるので、えらい結果になってしまう事がある。なかなか面倒な話になりがちだ。
●税金の投入で思う
シティグループへの救済が発表された。200億ドル(約2兆円)が資本追加され、総額450億ドル(約4.5兆円)の公的資金が使われることになる。同銀行保有の不良資産3060億ドル(約30兆円)から、将来、損失が発生すれば、同銀行が290億ドル(約2.9兆円)まで負担する。その金額を上回る損失が出た場合、アメリカ政府が90%を負担する。一方で、自動車メーカーへの税金投入については現状ではまだ結論を見ていない。
この自動車メーカーへの公的資金投入が認められることになれば、金融機関を超えて製造業までが税金による救済を受ける事になる。金融機関だけではなく、自動車メーカーも公的資金を入れることになれば、我も我も経営に行き詰った会社が公的資金を求めることになりかねない。こうした形で税金による救済が広がっても、すべての救済をアメリカ政府はできるわけではない。公平さを考えるとすべてのケースに手を差し伸べるか、全く手を差し伸べないことが公平だろう。
しかし、巨大企業である場合は大きすぎてつぶせないと言う論理で、基準が良くわからないがなし崩しに手を差し伸べられていると見える。モラルハザードは間違いなく起きてしまう。金融機関と自動車メーカーでは個人に与える影響は違うと思うが、一体、自動車産業への税金投入は認められるべきであろうか。
自動車産業はその関連する産業が多く、ビッグスリーが無くなれば300万人の人が職を失うと言う。確かにこれは、見捨てておく事が出来ないという考えは理解できないわけではない。しかしながら、アメリカにおいては(日本においても)大きな設備投資で自動車工場を作り、多くの労働者が大量に自動車を作ってコストダウンをして、販売していくと言うビジネスモデルは過去のものではないだろうか。自動車離れが起きているわけだし、これからは中進国での事業形態であろう。
もともと、アメリカの自動車産業は衰退していくと見られていたわけだし、ものづくりではなくサービス産業(Wall Street)で生きのびる事がアメリカの選択だった。そのサービス産業が大きくつまづいたわけだ。自動車産業(Main Street)に影響が及び、倒産するのを防ぐためにお金を入れることは、長期的に見て合理的な選択なのだろうか。
たとえ話で考えると、高齢で回復する事が見込めない病人に延命治療を行うこと(自然人と法人では倫理的に異なるかもしれないが)は良いのだろうか。結局最後の日を何日か先延ばしにするだけではないかという見方もある。この間の治療費が余計に家族にとって負担になるように、アメリカの財政赤字を拡大させるだけになってしまう可能性がある。
マラソンではないが、いずれにしても42.195kmを走らなければ、ゴールには達しない。負担するべきコストは同じだ。2時間少しでそれを負担するのか、5時間でも10時間でも延ばしたところで、社会が負担する総面積のベースは同じだろう。ただし、そのインパクトの強さが異なることや、対策が遅れれば遅れるほど雪だるまになる中で、どう舵取りをするかだ。
どうもそうしてみると、自動車メーカーを救済するのは、アメリカ産業構造変革の根本治療のためと言うことより、対症療法でバンドエイドを傷口に張るように思えてくる。
アメリカ議会が、自動車メーカーの救済の方向は理解するにしても、自動車メーカーがいかに明るい未来を描けるか示すことができない段階で、安易に資金提供するべきではないというのは当たり前だと思う。
自動車産業はアメリカの基幹産業だったわけで、自動車会社が無くなることになれば300万人の人に深刻な影響が及び社会不安を起こしかねない。それ故に“大きすぎてつぶす事が出来ない”という話で、これには耐えられないわけだから、結論ありきで、税金による資金援助を行う。そうなると、自動車メーカーが書く今後の事業計画書は、作文になってしまう恐れが十分にある。
もともと自動車の10年先、20年先、30年先の将来はあるのだろうか。
アメリカの自動車産業が今日に至る原因はどこにあったのだろうか。
こうした原因を除去する、現実的で有効な対策はあるのだろうか。
その対策は実行可能なのだろうか等々。
こうした問題は今初めて気づいたことなのだろうか。クライスラーにしては何十年前からつぶれる・つぶれると言われて茨の道を歩いている。皆、どこに問題があるのかはわかっているはずだ。原因がわかっていながら、それに対して有効な対策を取れていない。今日、それができていないのは経営者の責任といわれても仕方が無い。なのに、税金を入れてもらいXデーが先に伸びたところで、経営者が、何十億と言う年俸をもらい、ゴールデンパラシュートで同じように退職金をもらっていくのは許しがたい。何らかの手を打てたら今日の状況にはなっていなかったと思う。いつか来た道だ。
さて、大きすぎてつぶせないという論理だ。これはどういうことかといえば、本来、国が行うべきである社会保障を私企業に代行させることとも思える。国にお鉢が回ってくるよりかは、税金を私企業に投入することで、社会を安定させる。つまりこうなると、私企業は国に変わって社会保障を行うことに他ならない。その本質においては企業が利潤の追求というより、雇用を確保することであたかも年金や健康保険を行っていることにもなる。これは私企業においては、企業目的と二律背反になるので本来はあり得ないだろう。
自動車産業が営利目的ではなく社会保障目的になる時に、純粋に利潤を追求する外国の自動車メーカーと競争できるわけはないだろう。ハマーのような大型SUVを作り続ける。環境負荷の高い燃費の悪い車を作り続ける。それに対して、税金を投入して補助金として使ってもどうしようもないはずだ。
とてもわかりやすく理解されるのは、連邦破産法第11条をファイルすることだろう。もう一度、リセットして、新たなスタートを切ることだ。資本注入をし続けることでだんだんに国営自動車になるのかもしれない。でもうまく行かなければ、第7条で清算に向かう事が自然だ。政府から手を差し伸べられる事のない普通の企業はそうならざるを得ない。
政府が社会保障政策として自動車メーカーを続ける事は一つの選択だ。しかしながら、それが良いのかどうかを決めるのは最終的には納税者である。一人一人の個人がその答えを持つ。政治的な信条ではない。自動車のユーザーとしての個人が決めるはずだ。つまり、最も買うに値する自動車が日本車やヨーロッパの自動車である限りは、いかにアメリカのメーカーに資本注入をしても事業はうまく行かない。個人として買いたい車がビッグスリーの車にならない限り解決はないし、正しい投資行動ではなく、正しい社会保障になるかもしれない。
社会保障である限りどうするか。東欧やアジアなどで自動車工場を作らずに、アメリカ国内で自動車を作る。雇用を確保する。アメリカで販売される自動車はすべてアメリカ本土で作られていなければならない。できればコンポーネントもすべてアメリカで作られたものとする。
そんな事が出来るかと言われれば、自由な経済環境ではあり得ない。自由競争を制限して外国をブロックして、国の規制によってしか達成できない。1920年から1930年代の大恐慌時代の二の舞になりかねない。この時代を経る間に、実にアメリカは個人の最高税率90%を超えることになった。第二次世界大戦に突入したからでもある。規制による利害の解決が、最後は国家暴力にまで発展した。
社会保障としての自動車メーカー救済はやはり難しいだろう。それなりの効果があるとしても、何故に自動車メーカーだけなのかということになれば答えはない。それでも後先を考えずに、救助の手を差し伸べなければならないというなら大変なことだ。
国としての責任は国民の生命財産や安全を守ることでもあることなので、その目的に税金を使うことは間違いではない。しかし、限られた予算の中で誰が救われていくべきかは難しい問題だ。何とかバンドエイドをアメリカ自動車メーカーに張っている間に、本格的に経済が立ち直ってほしいと願うばかりだ。
●アメリカの自由度
税金の話だが、国が右だというのに地方が左だと言うように、それぞれ見解が異なることを法律として認めてしまったらどうなるのであろうか。日本ではそうした事があるのかどうかはわからないが、おそらく事前の調整や力関係もあって、地方は国の枠組みの中にきれいに納まるのではないかと思う。それが良いのかどうかわからないのだが、アメリカの難しさはその対立関係にも見出される。
一つの例がDomestic partnerをめぐる税法上の取り扱いである。社会の成り立ちが異なるからなのかもしれない。カリフォルニアの例を見ても、連邦政府のあり方とは全く相容れない。これをどのように評価すべきか難しいが、少なくとも物事を決める自由度がはるかに日本よりは高い。それ故に自由に自分たちの意見を出すことができて、連邦とは無関係に法律も作ってしまう。
カリフォルニア州家族法297条でDomestic partnerとは、相互に世話をして親密に約束をしている二人の大人だという。州に対してDomestic Partnershipであることを宣言することが要件だ。申告書を出す場合には、次の事柄が満たされていなければならない。
二人とも一緒に住んでいる
他の人とは結婚していない
血縁関係ではない
18歳以上である
二人とも同性かまたは一人以上が62歳以上
二人とも同意している
結果として、結婚している人に認められているルールはDomestic partnerとして登録されている人にも認められることになる。連邦税では結婚している人としては扱ってくれない。あくまでも結婚していない人としてのステータスしかない。
具体的に医療費控除はどうなるか。
連邦ではそうした関係を認めないために医療費の控除を取る事が出来ない。一方、カリフォルニア州ではDomestic Partnerとその扶養をしている子供に対してAGIの7.5%を超えた分については医療費の控除を取ることを認める。
結果としてこうした調整を州税の上では行っていかなければならない。もともと連邦税は結婚していないわけだからわかりやすいが州税は複雑になる。
こうした不一致を混乱と見るとそうかもしれない。そうした人たちの権利を認める自由度の高さをすごいと見ればそれもあろう。中に住んでいる人たちには、マイナスと見られ(良いところは当たり前なので、いまさら気がつかない)がちだ。外から見れば懐の深い自由な国なのだとおもえばそれもある。
この事が良いことなのか、どうかはいろいろな見方があるのかもしれないが、申告を行う上においては手間であることは事実だ。
●贈与税は良くできている
遺産税が問題になるのは、きわめて当たり前なことだが、遺産税のかかる財産を故人が亡くなった時点で所有していたからである。アメリカ市民の例で言えば、2008年では200万ドル(約2億円)の基礎控除があり、あともう1ヶ月少しで2009年になれば350万ドル(約3.5億円)に基礎控除が跳ね上がる。それ故に、この金額以下の場合、アメリカ市民は連邦遺産税を考えなくてもよい。
2010年1年間だけは連邦遺産税がなくなる。2011年にはこの基礎控除の額が100万ドル(約1億円)になってしまう。さて、アメリカ市民でこの基礎控除額を超す財産を持っている人の場合、遺産税を考えなければいけない。
いろいろな対策が考えられるが、単純に言えばそれだけお金を持っているということを回避すればよい。どうするか。生きている間に使ってしまえばそれも解決である。今年の例では2億円だから、3億円を持っている人は1億円以上を使ってしまうわけだ。しかし、そうしたお金持ちはおそらく、これ以上、買うものもないだろう。お金を使うところがないわけだ。
使ってしまう事が出来なければどうするか。他の人にあげれば財産はなくなる。あげれば良い。実にシンプルな解決策である。つまり、3億円でも5億円でも、それ以上でも自分のお金でなくすれば良い。多くの場合、財産をあげる場合自分の子供や孫にあげる。ヘレナ・レオムズリーのように自分の子供には財産をあげなくて、愛犬に10億円以上も残す人もいる。自分の家族でない人にあげても良いわけだ。
自分の子供に3億円でも5億円でもあげてしまえば、連邦遺産税はかからない。贈与を行うわけだ。即ち、贈与は遺産税の回避になる。これを見逃さないために、連邦贈与税がある。贈与の段階で税金をかけるので、財産の移転時期が死亡時期より、自分が生きている間に早まり税金の先払いをすることになる。
日本と異なるのは、連邦贈与税、連邦遺産税にせよ財産をあげる側が課税される。日本はもらう人が課税される事が異なる。アメリカにも年間贈与の非課税枠があり、現在は$12,000だ。これは一人で考えているので、夫婦ならば$24,000になる。
この金額までなら、無制限の人に財産をあげても贈与税はかからない。$12,000を1,000人にあげれば1200万ドル(12億円)となるが、それでも無税である。しかしながら、自分の子供に贈与する場合は、$12,000(120万円)を超えると、超過した部分には税金がかかってしまう。
それゆえに12億円を贈与しても連邦贈与税の申告をしなくてよいケースと、120万円を少しでも超したために連邦贈与税の申告をしなければならないケースにもなる。できるだけ多くの人に分かち与え、自分に財産が無ければ税金がかからないのだから、贈与税はこの点では良くできている。
●税制の簡素化
アメリカ人弁護士のN氏とあう。全くのアメリカ人であるのに、どうしてこんなに日本語がうまいのだろうといつもながら驚かされる。本当に不思議でしょうがないが、自分にしてみれば英語で話をするより日本語の方がはるかに楽なので日本語で話をしてしまう。話をしていてオバマ次期大統領に好意的な発言が多いので、それとなく政治的な立場も感じてしまう。
確かに、オバマ次期大統領の方が話の内容に説得力がある。彼はそれも気に入っている様子だ。確かに言っている事は多くの人々にアピールする。言葉の上で話している内容だけに理想論である。実行がともなわなければ、えらいことになるのではないかと聞いてみた。彼も同感だという。そこで、税制改革の話を切り出してみた。
今の税の仕組みを変える事は、ものすごく難しく、この先も税法がまるで自己増殖をしていく生き物のようにとどめもなく複雑化するのではないかと思う。自分としては言葉尻を捕らえるようだが、オバマ次期大統領が次のように言う事が信じられないのだ。
現行の税額控除を統合し、数百万人の老齢者には申告書を提出しなくても良いようにし、4000万人の中産階級アメリカ人が会計士なしで申告書を5分以下で出来るようにして税金を思い切って簡素化する。
この段階で、そうだともそうでないとも言うことは誰にも出来ない。そういったところで将来的な状況ががらりと変わることも、議会でいろいろな修正を受けることもあるわけなので、ストレートにそうなるかどうかは何ともいえない。そうなのかもしれない。
しかしながら、彼が言った言葉は、本当のことを言ったら誰からも投票してもらえないというのだ。彼の発言は彼だけのことかもしれないので、全体がそうだともいえないが、どうもこのあたりに本音が見え隠れする。有権者もそれなりに懐が深く話を受け止めているのだろう。
自分にしてみれば、選挙の中で言ったことは公約なのだから、何が何でも実行しなくてはいけないはずだと思ってしまう。でも、実際は政策の優先順位もあるし、時代もどんどん変わってしまう。と言うことで、上記の税制簡素化策は、額面どおりには行かないのではないかと感じてしまっている。
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